Monthly Archive2月 2010
最新ニュース 2010年02月10日
1988年12月に何が起こったでしょう?雪が降りました(比較的暖かい12月でした)。
スポーツ界では何があったでしょう?(デービスカップの決勝でドイツが勝ちました)
その他には?(アルメニアでは地震により2万5千人の人が亡くなりました)
ドイツ国際平和村のスタッフは、1988年12月の出来事を鮮明に覚えています。
なぜなら、アフガニスタンへの第1回目の援助を実行したからです。
その後、現在まで59回の援助が続いています。
ドイツ国際平和村代表ヤコブスは、当時のことを次のように回想しています。
「1988年12月24日、ちょうど午後6時にアフガニスタンの子どもたちを乗せたチャーター機はケルンの大聖堂の真上を飛んでいました。」
写真家ヴァイラウホ氏も覚えています。
当時彼は初めて飛行場に立っていました。
「チャーター機はお昼12時に到着予定でした。私の家族はクリスマスイブの16時にいつも礼拝にいきます。その日は念のため他の要件は先に済ませておきました。」
彼は他のスタッフとともにその日空港で待機していました。
数時間の遅れがありました。
「クリスマスの予定を変更することはめったにしませんが、この日のことを一度も後悔したことはありません。それ以来、援助に何度も参加しています。」
礼拝には行けませんでしたが、彼は深い感銘を家に持ち帰りました。
「アフガニスタンから来た子どもたちを見て衝撃が走りました。不安でいっぱいの見開かれた目を私は一度も忘れたことがありません。」
何が起こっているかよくわからない状況でたくさんの知らない人々による知らない世界に対する不安を、60回目の援助飛行でもドイツ国際平和村のスタッフは子どもたちから取り除くことはできません。
たとえ、出発前現地で、ドイツで治療がなされること、優しい人々がいることを聞かされていてもです。
アフガニスタンでの生活はこの22年間よくなっていません。
第1回目の援助の際、ドイツ国際平和村のスタッフは、現地の食品や家賃の高騰について報告しましたが今も変わりはありません。
現地スタッフによると、アフガニスタンの一般家庭の1ヶ月あたりの所得は約60アメリカドルですが、約10人家族が質素な食生活をしたとしても約150アメリカドルはかかります。
ドイツ国際平和村のスタッフがさらに気にかけているのは、貧富の差がさらに広がっていることです。
「カブール市内にある一定の区域では、外壁の中に豪華な建物が建っていますが、そこから3本ほど道を奥に入れば、ひどい貧困が人々を襲っています。」
これは22年前から変わっていません。
1988年12月29日、ムジャヒディーンはパキスタン・ペシャワールで起こったデモの最中に、当時の大統領モハマド・ナジブラをかたどった人形を焼きました。
これは、ドイツ国際平和村がはじめてアフガニスタンの子どもたちを治療のためドイツへ受け入れた数日後のことです。
それ以来、アフガニスタン国内は変化し、権力掌握者が次々に変わっています。
そのような中でも、ドイツ・アフガニスタン間の国交関係は良好といえると、現地入りしたドイツ国際平和村のスタッフが伝えています。
しかしながら、今回確実に言えることは、面会のためにアフガニスタン南部から来る家族がかなり少ないことです。
背景にあるのは、道中の治安悪化やカブールへ入る前のパシュトゥーン人によるチェックだろうと、現地パートナー団体赤月社のスタッフが言っています。
「南部がタリバン支持しているからという理由で、チェックを受けたにも関わらず結局通行許可がでないことを人々が心配しています。」
アフガニスタンの政権が変わろうとも、援助活動初期からドイツ国際平和村の考えは変わっていません。
その考えとは、子どもたちはドイツでの治療が終われば家族の元へ帰るということです。
それは22年間変わっていませんし、これからも変わりません。